前回からの続き
こうした状況の下で雇用延長が進む一方で、「45歳定年制」が突如浮上したわけです。従来の方針とは正反対の政策提言が波紋を呼んでいます。45歳定年制という言葉だけを見れば、「一律45歳で退職されて、従業員を探さなければならないのか」といった不安の声が、雇用者側から、「解雇の自由化や非正規雇用の拡大が進むのではないか」といった不安の声が、被用者側から上がりかねません。
以前、内閣官房国家戦略室のプロジェクトチーム「国家戦略会議フロンティア分科会」の報告書の中で雇用流動化を推進する施策として「40歳定年制」を提唱したことがあります。これは、2050年の日本のあるべき国家像を構想し実現するための戦略について提言したもので、雇用・労働分野を改革案の大きな柱の一つに据えています。その中で、勤労形態の変革や女性の就業の促進、生活保護などのセーフティネットの見直しといったテーマとともに、「企業内の人材の新陳代謝」が必要と述べ、その施策の一例として40歳定年制について次のように言及しています。
<具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。場合によっては、40歳定年制や50歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか。もちろんそれは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。こうした雇用の流動化は、能力活用の生産性を高め企業の競争力を上げると同時に、高齢者を含めて個々人に働き甲斐を提供することになる>
従来の議論では、定年については年金支給開始年齢の引き上げに合わせて、65歳までの雇用延長とその義務化の流れがありました。企業が従業員の定年年齢を定めるとしても、高年齢者雇用安定法によって60歳を下回ることができませんでした。ところが報告書では、60歳定年制では企業内に人材が固定化し、競争力低下のリスクを避けられないと強調したうえで、労使間の合意があれば、管理職への昇進が増える40歳ぐらいまで思い切って定年を引き下げられる柔軟な雇用ルールへの転換を訴えたのです。併せて、早期定年を選ぶ企業に対しては、退職者への定年後1~2年間の所得補償や社員の再教育への支援を義務付けることも不可欠であるとしています。
「40歳定年制」という言葉だけがクローズアップされていますが、報告書の記述をよく読むと、必ずしも「一律40歳で終了」といった内容ではありません。それどころか提案の趣旨は、定年制を廃止し、雇用契約を原則有期とすることにあって、その有期の雇用契約の一形態として40歳までの雇用契約として「40歳定年制」を挙げているわけです。つまり、定年というとどうしても仕事を辞めて余生に入るといったイメージを持ってしまいますが、ここで言っているのはいったん退職するという意味であって、社会的にリタイアしてしまうということではありません。
分科会の報告書は少し前のものなので、当時、一般的に65歳までの雇用延長とその義務化を前提とした流れの中で「40歳定年制」に触れていたのですが、現在の議論としては、それに5歳プラスした70歳までの雇用延長とその義務化を前提とした流れの中で「45歳定年制」が議論の課題となっています。
いずれにせよ、こうした雇用改革の実現には賃金制度や退職金制度の抜本的な見直し、転職市場の整備、人材育成などを含めた一体的な検討が必要です。政府も報告書の提言はあくまでも長期的な指針という位置付けであり、ただちにすべて実現することを目指すものではないとしています。
もし45歳まで定年年齢を引き下げるというのであれば、当然、年金も45歳からの受給を可能にしなければなりませんが、現在のように高齢化が急速に進む中で支給年齢を下げるというのはあまりにも非現実的な話しです。現在では、原則として年金支給が65歳から始まることからすれば、定年を45歳まで引き下げるということによって20年もの空白期間が生じてしまいます。
こうした、労働者が一方的に不利益を受けざるを得ない提案であれば、強い拒絶反応が出るのは当然といえば、当然のことです。定年制度は労働者の可能性を一定の年齢で切り捨てるドライな制度ではありません。新浪発言は、45歳で定年を迎えても余裕をもって引退後の生活を送ることができる階層の発言として多くの人に憤りの感情を与えてしまいました。しかし、これは、「定年」という言葉が使われたことが誤解の端緒で、加えて十分な説明がなされていなかった時点で後々問題となることはやむをえなかったわけです。
以前、会社の寿命30年説というのが唱えられたことがあります。これは必ずしも会社が30年で寿命を終えるということではありません。ひとつの産業が勃興し、最盛期を迎え、停滞するサイクルとして30年を目途にしたものです。そうすると、現在ではそのサイクルがもっと短縮化され、20年~25年がそのサイクルといえるのかもしれません。現在では、リタイアして年金生活に入るのは65歳からとなりますが、段階的に年金の受給年齢が引き上げられていくことを考えると、約50年間働くことになります。従来型の終身雇用制であれば50年間一か所で働くというモデルがスタンダードであったかもしれませんが、産業の転換が激しい世の中になってしまえば、50年間一つの産業や会社が安泰ということはあり得ません。そのことを考えれば、50年の労働期間を前半と後半に分けて、前半で自己研鑽を重ねビジネススキルをアップするとともに、後半の約25年の期間において向上、繁栄を迎える産業、会社を予測して、転職することを考えるのが優れた就業モデルの一形態といえることになります。
(ウィズコロナ時代の定年制とは(3)に続く)
久留米大学法学部 教授 松本 博